311の時には震災2ヶ月後に南相馬市に入った。その時にはもっと早く来ればよかった。本当に悲惨な現場に自分は間に合わなかったという思いにとらわれ続けた。自分が迷っていた時間の中でも、苦しんでいる人たちがいたし、その人達の後日談を聞かされるたびに悔やんだ。あの当時の孤立した、原発事故の最中に現地に飛び込んで尽力した人たちのことは、今でもリスペクトしているし、自分の入りの遅れが悔やまれている。
でも、視点を変えれば、それら先行した人たちの勇気は危険と背中合わせであり、冷静に考えれば賞賛ばかりはできない行為だったのも事実。一方で危険で先の見えない中で飛び込んできてくれた彼らに、どれだけ精神的に救われた人たちがいたか。それも事実。
物事の価値は簡単には決められない。SNSで簡単に断じられることとは違う。