小笠原方言(おがさわらほうげん)もしくは小笠原語(おがさわらご)は、小笠原群島で話されている言語。日本語と英語のクレオール言語とされている。
起源と歴史
小笠原諸島へは、本土系移民に先立って、欧米人や太平洋諸島先住民族(ポリネシア人・ミクロネシア人)から構成される欧米系島民が移民していた。欧米系島民たちは英語とポリネシア諸語(主にハワイ語)、またそれらが混合したピジン言語をコミュニケーションに使っていた。1840年(天保11年)に父島へ漂着した「中吉丸」漂流民の記録である『小友船漂着記』には、56の単語が記されており、そのうち英語由来の単語が17語、ハワイ語由来の単語が39語であった。なお、ミクロネシア諸語の影響は現在の小笠原方言には単語レベルでしか残っていないが、南洋踊りで歌われる曲の中にはミクロネシア諸語が使われている曲もある。
その後、小笠原諸島へは本土出身者も移民してきたが、八丈島出身者が多かったため、小笠原方言の成立には八丈語が強く影響を与えた。また八丈語以外にも語彙の一部には遠州弁、東北方言、関東方言、紀州弁、四国方言、九州方言の影響が見られた。
欧米系島民は、小笠原諸島が日本領となってからは、日本に帰化し日本語を学習したが、太平洋戦争後の米軍占領下では英語教育を受けた(ラドフォード提督初等学校)。そのため、彼らの子孫の話す日本語は、英単語やフレーズが英語の発音のまま使われる、挨拶に通常の日本語が使われず独自の形式があるなど、一種のクレオール言語になっている。なお、英単語の発音は18世紀にニューイングランドで話されていた訛りが受け継がれているが、米軍占領下においてはハワイ・クレオール英語をはじめとするアメリカ英語の諸方言が流入しており、当時英語教育を受けていた世代(ネイビー世代)においては語義や発音の面でも一般米語により近いものとなっている。一方、日常生活においては本土系島民がもたらした八丈語をベースとした言語変種が用いられていたため、彼らの言葉には現在でも八丈語の影響を見る事ができる。
一方本土系島民は、太平洋戦争末期から1968年(昭和43年)の本土復帰まで、欧米系島民に嫁いだ女性を除いて本土への疎開を強いられていた。その間、日本語共通語や疎開先の方言の影響を受けた可能性があるが、この期間内の方言資料はほとんどない。返還後は日本語教育の浸透や本土からの移民増加に伴い急激に共通語化が進み、現在の島民の言葉はネイビー世代以前の欧米系島民を除きほぼ共通語ないし首都圏方言となっている…