池田大作サリン襲撃未遂事件(いけだだいさくサリンしゅうげきみすいじけん)は、1993年(平成5年)11月と12月18日、創価学会名誉会長・池田大作が当時の宗教法人・オウム真理教の幹部に襲撃された暗殺未遂事件。
事件の実行者
1995年(平成7年)3月の地下鉄サリン事件発生後に、オウム真理教に対する警察の強制捜査によりオウム真理教の幹部らが逮捕されて発覚した。刑事事件として立件はされなかったが、1994年(平成6年)6月の松本サリン事件に至る前日譚として言及され、オウム真理教の教祖である麻原彰晃が首謀し村井秀夫、遠藤誠一、新実智光、中川智正、滝澤和義らオウム真理教の幹部により実行されたことが、一連のオウム真理教事件に関する刑事裁判で明らかとなった。
事件の概要
オウム真理教の教祖である麻原彰晃は、同じ新宗教である創価学会を敵視していた。やがて「サンデー毎日から始まったオウムバッシングは、聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと創価学会が結託して行っている」などと主張し始め、『池田大作は日本を侵略するフリーメーソンの手先であり「仏法」を曲げているまむしの一族』、『多くの人をだまして来世悪趣に転生させてしまうのでこれを防がなければならない』、『オウム真理教の信者数を創価学会並みに増やしたいが、それに至らないのは池田大作(名誉会長)が政治家の小沢一郎を使って国家権力を動かし妨害しているからだと考えて』、『ポア(殺害)しなければならない』と敵対心を露わにしていった。
1993年8月にはオウム真理教幹部の土谷正実が猛毒のサリン合成に成功しており、麻原彰晃はサリンの最初のターゲットとして池田大作(名誉会長)の襲撃を計画し、「サリンをまいてみろ」と指示。村井秀夫らが行動に移した。当初はラジコンヘリによる航空散布が検討されたが、ラジコンヘリが操縦ミスで大破したため、車両(自動車)による攻撃に変更した。
事件の経緯
1回目は1993年11月に、村井秀夫、新実智光、中川智正、滝澤和義らオウム真理教の幹部4名が…