:hyuki: Twitterの変化について思うこと
TwitterがXに変わる少し前から、自分のSNSの使い方、SNSとの付き合い方が少しずつ変わってきたように感じます。そういう人は少なくないと思うんですけど、SNSと少し距離をおくといいますか、別の活動の時間を増やすといいますか、そんなことをよく考えます。
といっても、SNSを全部否定するわけではないし、だから何々はダメだみたいな極端なことを言いたいわけではありません。
もう少し話は穏やかで、TwitterやSNSどっぷりにならないで他の活動もしましょうというだけのことです。
たとえば、これはずいぶん前からの話なんですけれど、「メール」というものを再認識している部分があります。SNSで見かけた内容に、いわば脊髄反射的にぱっと答えるのではなくて、自分宛にもらったメッセージに時間をかけて考えて返事を書く。そういうスタイルのことです。もちろんこれは一例ですけれど。
文字数を気にしないのも大事だなと最近思うことがあります。丁寧な返事をメールで書いているときに、字数制限がないことの自由な感覚を改めて思いました。
マストドンはお気に入りですけれど、その大きな理由として、文字数制限がないことと、再編集できることがあります。つまりはそれって、本当の意味でのミニブログということですね。
考えてみますと、今この文章は朝の散歩をしながら、音声入力でiPhoneを使ってマストドンに投稿しようとしているわけですけれど、これもまた「マストドンをSNSというよりは、ブログとして使っている」のに近いですね。そして実際、この投稿は「結城浩のひとりごと」というウェブサイトに、まさにブログ風にまとめられるようになっています。
そういえば「結城浩のメール日記」という企画を始めて、最近はしばらく書いていませんでしたが、また再起動したいなと思っているところです。これはメールのようなブログのような文章を書くものです。
他の人の関わりという意味では、「結城浩の談話室」は、もっと違った角度からの企画になりますね。ズームを使って録音などの記録を残さずにおしゃべりをするものです。
様々な形での他の人とのネットワークを使ったつながり方はいくらでも考えられるので、TwitterのようなSNSに限定しすぎないで考えるのは良いことだろうなと思っています。
他の人とのコミュニケーション以外で言うと、やっぱり読書の時間ですかね。最近は読書の時間が激減している感覚があります。もう少しさすがに読書(仕事のために読まなくてはいけない本とは別の読書)の時間を増やしていかないとよろしくないなと感じています。
とっかかりとしては、昔読んだ本の再読や、他の人が紹介している本からたどっていくことを考えていますけれど、基本的にはあまり新しい本というよりは、古い本に興味があるかな。いや、そう限定したものでもないかな。
どうして古い本の話をし始めたかというと、いわゆる古典的な作品として、名前は知っているものの、全く読んだことがない本はたくさんあることが気になってはいるからです。といっても、古い本の中には、当時としては現代的な意味合いを持っていたかもしれませんけれど現在としてはあまりマッチしないものもあるかなとは思っています。
ともかく、読みたいと思う本をきちんと読んでみるのは良いのかもしれないなと思っています。時間的に最初から最後まで通読するのは難しい場合もあるかもしれませんけれど。
Twitterが変化していくのにはうーん…と思いますけれど、それはそれとして、これをきっかけに自分の時間をどう使うかを点検してみるのは悪くないなと思っています。なんといっても時間というのは大切なリソースですから。
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朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。
いつも私の話を聞いてくださりありがとうございます。
今日も素晴らしい一日になりますように。