:hyuki: モチベーションを保つ話/他人との比較の話/継続的な学びの話
仕事柄、本はよく買いますし、それなりに読むと思います。若いときほどは、たくさんの本を読まなくなりましたけれど。
こんなことをよく経験します。本を買うときに「この本は読んでおかなくてはいけないな」と思って買う本はなかなか読めません。それに対して、特に読まなくてはいけないというわけではないんだけど、気になって買ってしまった本は意外にするっと読んだりします。
あれは何なんでしょうね。考えてみれば、義務感で買った本はなかなか読めないという当たり前のことかもしれませんが。
勉強全般にしても同じことがいえます。義務感で行う勉強はなかなか取り掛かりにくいですし、何だったら身にもつかないかもしれません。
広く言えばモチベーションかもしれませんが、その活動に向かうときの心持ちは、活動内容そのものに大きく影響を及ぼします。そこまで一般化したら当たり前すぎるか。
いろんな方が、仕事や勉強に対するモチベーションをどう保つかということを気にします。もちろん、私も気にします。私の場合には、モチベーションを保つときに大切なのは、自分なりの工夫ができるかどうかという所にあるように思います。自分のこととしてそこに参画できるかどうかという意味です。個人的な動機付けといってもいいのかな。
その他にモチベーションを保つための1つとして、自分なりの発見というものがあります。広く言えば、自分なりの工夫ができるということにもつながりますけれど、話を聞いたり本を読んだりしていて「なるほどそういうことか」という自分なりの発見があると急にモチベーションがアップします。別の言い方をすれば、自分なりの発見があると、そこでその活動が「自分ごと」になるのでしょう。
ここで難しいのは、自分なりの発見をしたり、自分なりの工夫をするためには、その対象をある程度深く理解する必要があるということです。ある程度深く理解するためには、モチベーションが必要ですから、これは典型的な鶏卵問題になります。モチベーションアップするのが先か、自分なりの発見をするのが先かということです。
何かを勉強したときに、「なるほどそういうことか」という発見が早く来るものと遅く来るものがあります。言うまでもありませんが、私の場合には、その発見が早く来るものの方が馴染みぶかいようです。
大切なことの1つとして、その「なるほどそういうことか」という発見が既になされていても、全く関係がないということがあります。世界で初めてその発見がなされたかどうかというのは、私にとってはあまり大きな意味はなくて、私自身の中で初めてかどうか、私にとっての発見かどうかが大切なようです。
その意味で、私の関心事は自分自身に集中していると言えるかもしれません。
自分が理解しているかどうか、自分が発見しているかどうか、自分が納得しているかどうかが大事である。この発想は、他人との比較を避ける意味では、とても大切だと自覚しています。
数学ガールでも出てきましたが、世界中の人が理解していたとしても、自分が理解していなかったら、それは学ぶ価値があると思います。あるいはまた、世界中の人が既に理解していることを、自分が今初めて理解したとしても、それは意味があることですし、何一つ恥じることはありません。
話を戻しますが、「この本は読んでおかなくてはいけない」と考えた本がなかなか読めないという話をしました。それは義務感から来る勉強がやりにくいという話なのかもしれませんが、もしかしたらちょっと違うかもしれません。
本当に自分が今学ぶべきものと、自分が頭で勝手に考えている学ぶべきものとの間にズレが生じている可能性があると思ったのです。
今まで自分は、こういう活動をしてきたから、こういうものも読んでおかなければいけないというのは、大変建設的な考え方のように感じますけれど、別の見方をすれば「イメージ先行」ともいえます。
もう少し自分の深いところから、eager to knowという気持ちから生まれてくるものをきちんと見つけなくちゃいけないんじゃないかな。そんなふうにも思います。
この辺はなかなか微妙な問題を含んでいます。たとえば、大学時代に自分がなかなか勉強できなかった時期があります。そのときにまさに今と似たようなことを考えていたのを覚えています。つまり、一つ一つの学びに対してもっと思い入れがなくてはいけないというような感覚のことです。これは正しい面もあるんですけれど、非常に危険な面もあります。というのは学びというのは、大半が地味なものであって、淡々とコンスタントに行うべき部分が大半だからです。もちろん、折に触れて熱心さを出す必要はありますけれど、それを継続するのは大変難しいものです。自分の「やる気」や「熱心さ」に大きく依存しては継続が難しいのです。
おそらくですけれど、両方が必要なんだろうなと思います。自分の深いところから湧き上がってくるような熱心さや動機。それをスタートダッシュや、だれてきたときのカンフル剤として用いるのはいいけれど、日々の学びの継続のために、それをあてにしてはいけないのではないかと思うのです。ルーティンワークは重要です。
その一方で、ルーティンワークの継続によって全てが成し遂げられると思うのもまた偏りすぎているのだと思います。なんとなくジリ貧になってしまったり、されてしまったり、手癖のままで仕事をするようになってはいけません。ときにはきちんと窓を開けて新しい風を取り入れる必要があるのです。さもないといつの間にか窒息してしまうでしょう。
たった1つの方法で全てが賄えると思いたくなるのは人情です。これが必殺技だとか、これさえ覚えれば完璧みたいに考えたくなりますけれど、それはきっと正しくありません。良い方法や、良い作戦は、それとして、どんなに良い方法であっても、どんなに良い作戦であっても、時折見直したり、新しい風を通す必要があるのでしょう。だからこそなおさら、他者を批判することに関しては注意深くありたいものです。特に自分と違う方法を取ろうとしている人に対しての批判は十分な注意が必要になるでしょう。前提条件が自分と全く異なるかもしれないからです。
朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。
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いつも私の話を聞いてくださり、ありがとうございます。
今日も素敵な一日になりますように。