自分の状況を何らかの「定義」と照らし合わせて、要件を完全に満たしていないからという理由で「自分は当てはまらない」と除外してしまうことってあると思う。
あるいは、他者から「それはあなたのことではない」と言われることもある。
でも、その除外によって、「定義」の先にある情報――たとえば、問題への対処法や解決策、利用できる制度など――が一緒に除外されてしまい、孤立させてしまう危険性があるんじゃないだろうか。
僕は不登校児だったけど、不登校になってしばらくは、自分を「不登校」と認識できなかった。
なぜなら、不登校の定義は「年度の間に欠席日数が30日以上となったもの」とされているからだ。
僕は教室にいられなくなったあと、一定数期間を「保健室登校」で過ごしたし、その間に何度かは授業にも出た。出席日数が足りなくなると留年するから、そうならないためだ。
でも、結局僕がふつうに教室に戻れることはなく、そのまま出席日数が足りなくなる前に通信制の学校へ籍を移した。
にもかかわらず僕は、自分を「不登校」ではないのだと思っていた。定義から外れているから、そう名乗る資格がないと思っていたんだ。
だから、自分が何者なのか分からず、所属を失って強い孤独を感じていた。
その後、不登校の子どもたち向けのスクールへ通って、「学校に行けないってことは『不登校』なんだよ」と言われて、やっと自分をラベリングできた。
そして「不登校」のコミュニティに所属することで、他者との交流を回復し、2年半くらい掛けてメンタルバランスを回復した。
(もちろんその間にも色んな紆余曲折があった。ラベルを手に入れたのはその入り口にすぎない。)
これはほんの一例で、僕には「不登校」以外にも様々なラベルがある(かつ、そのうちのどれか一つを殊更に強調するつもりはない)のだけれど、そのうちのいくつかについては、同じような理由で「僕はこのグルーブには含まれていないんだ」と思っていたことがある。
ラベルなんてただの飾りだから、必要なのはその中身をどう扱っていくかなのだけれど、はなからラベルを除外してしまって、その「中身」も一緒に「自分のためのものではない」として除外した。
その結果、必要な対策や対処法に辿り着けないまま苦しむ期間を自ら長引かせた。
「定義」に合致する/しないを強調して状況をジャッジするのは、必要な情報へのアクセスを遮断する危険性があることなんだと思う。
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せかいないそんざい (dasein@misskey.kindworld.one)'s status on Monday, 21-Aug-2023 12:10:23 JST せかいないそんざい - PYU224(KindWorld管理者) likes this.