ウィトゲンシュタインの言語哲学に触れて思ったのは、具体的に言語化されないような問題は解決が不可能であろうということ。理不尽や不幸と呼ばれるものは漠然としすぎているがゆえに克服が難しい。よって、そのようなものにむしばまれ正常な思考が困難な人に必要なものは、忍耐や改善ではなく、より初歩的でそれらの前提となるような教育である。だが、幸運にもそういう問題の言語化が必要な段階を経験せずに済んだ人々には、そのことが理解できない。そして、学校の教員をはじめ、社会的地位のある人たちには理不尽や不幸に構う必要性に迫られるような時間を青少年のころに費やしていてはまずなることができない。この時点で、価値観や理解の面において大きな溝が存在するのだ。