ショーペンハウアーは確かどこかで「天才はいつの時代でも同じことを言っている」と述べていた。人間が歴史の担い手である以上、同じ問題に向き合い続けるのは必然的だろう。人間の歴史の産物にして叡智の賜物たる常識の重要性がそこから導き出される。
また、各時代の優れた学者たちがたびたび言い続けてきたことの一つが、学問の神秘性の否定である。マックスウェーバーが学問に神秘的な体験を求めるのではなく目の前の事柄に向かえと学生に呼びかけるようなことは、どの時代にもあった。この神秘性は様々な形に言い換えられるだろう。非論理的。権威的。霊的。いずれにせよ、快楽、マウントの道具、都合のよさ、そういったものが神秘性には付きまとうと思われる。
だが、一方で、歴史上における数々の天才たちが神秘主義やそれに近い優勢思想の弊に陥った歴史があることもまた事実である。時代の常識は天才によって担われる以上、神秘性とは最も遠いはずである人間が神秘性の光に目を眩ませられる。それだけこの光の持つ力が強大であることをまず知らなければならない。
ここまでの話を要約するとつまりこういうことである。「おいしい話など絶対にありえない」。ただそれだけである。だが、どの時代の人間も、それが理解できないから、永遠に同じことを言い続けなければならないのだ。言論人はすぐに常識を否定したがる。商品はその宣伝においてこれを買えば神秘的な体験が待っているかのように喧伝する。そして、詐欺師や嘘つきはキラキラとした光ある世界へと聞き手に誘いをかける。歴史が否定し続けた来たことがまさに今繰り返されている。
ではどうすればそのような誘惑に対抗しうるか。夢という漠然としたものから計画という具体的なものへ、俗説という刺激の強いメディアから常識的な面白くないが役には立つ話へ、そして鏡を見て現実の自分の身だしなみを整えて……。ただ日常をまじめに生きるだけのことである。
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