役割語(やくわりご)とは、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いである。主にフィクションにおいてステレオタイプに依存した仮想的な表現をする際に用いられる。そのような表現が日本の文学作品等の会話文で発話者の人物像を表わす記号として多用されることを小説家の清水義範が指摘し、日本語学者の金水敏が役割語と命名した。日常会話で用いられない違和感のある表現であることばかりが金水敏の『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』以降の研究で強調される傾向にあるが、清水義範の『日本語必笑講座』が最初に指摘したように役割語は記号として理解すべきである。
役割
様々な物語作品やメディア作品(外国語作品の翻訳も含む)、特に子供向け作品やB級作品において、老人は「そうなんじゃ、わしは知っとるんじゃ」、貴婦人は「そうですわ、わたくしは存じておりますわ」のような言葉遣いを用いる。そのような言葉遣いの老人や貴婦人は現実にはほとんどいないが、日本語話者であれば言葉遣いを見聞きするだけで「老人」「貴婦人」のイメージを自然に思い浮かべることができる。これらは物語作品やメディア作品で繰り返し使われることで、特定のイメージが社会で広く共有されるに至った言葉遣いである。物語の中で、老人としての役割を担う登場人物は老人の役割語を、貴婦人としての役割を担う登場人物は貴婦人の役割語を話すのである。
役割語は、「標準語」とメディアの発達に伴って複雑化してきたものである。東京で作られた「標準語」のコンテンツがメディアによって日本全国に発信され受容されることで、「標準語」の台詞は日本全国どの方言話者でも容易に自己同一化(感情移入)できるものとなり、同時に非「標準語」が役割語として生産・拡散・固定化されていくのである。そのため、役割語には感情移入を妨げて脇役であることを示す効果があり、フィクションの主人公が強烈な役割語を話すことは少ない(主人公の個性として、ある程度の役割語は付加される)。主人公が強烈な役割語を話す場合や、登場人物がそのステレオタイプに合った役割語を話さない場合には、特別な設定を描写する必要が出てくる。
金水は、役割語のイメージ喚起力を認め、役割語なくして日本語の作品は成り立たないとしているが、型通りの役割語の多用は日本語の本来の多様性を覆い隠し、陳腐さと表現の狭さをもたらすことを指摘している。また役割語は差別的なステレオタイプに鈍感であり、安易な役割語の使用は、時として表現者の意図した、あるいは意図しない偏見・差別意識を伝えてしまう場合もあると金水は述べている…