インクルーシブな世を、追い求めるのはもちろん間違ってはいない。
ただ健常者を巻き込んで流れが止まりすぎるのは、それは望ましいとは思えない。と障害者になった僕は思うのだ。
なんでも平等だとか包括的にという概念は素晴らしい。分けることになってしまうけど、権利や機会などは差別なく共に生きられることが立場的にもお互いがうまくいくのではないかと思う。
僕は体が不自由になった後に復職したとき、インクルーシブの潮流に乗って啓発側にも回って役に立とうと少し考えていた。
しかし、思うように生活できない僕自身、そういうことをやれる気力体力なぞなかった。おまけに、合理的な配慮をしてくれるのだから、周りと同じように動かねばならないというような強迫観念も生まれてしまった。
そして、僕は自爆したのだ。もう駄目だと。
はっきり言って、分けてもらったほうがまだ続けられたかもしれない。
でも職種的に難しい世界にいたのでやるしかなかったし、上も対応が難しかったろう。