名古屋市教育会(なごやしきょういくかい)は、「本市教育の改良を図る」目的で1881年に設立された任意団体。
概要
市独自の組織で、国公立の幼稚園や小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の保護者や教職員から、教育会の「年会費」名目で1口100円で5口以上の協力を求めている。
戦前においては、地図の編纂、図書館の運営なども行っており、名古屋市の地域性に依った伝統のある団体である。
1881年に創設された名古屋区教育会が前身。かつては全国組織の教育団体「大日本教育会」に属していたが、1946年に脱退して以降、市独自の教育助成団体として活動し、教員や保護者からの会費で運営している。[1][2]
沿革
1881年(明治14年) - 名古屋区内の教育に関することを取り扱う会として名古屋区教育会が設立される。
1888年(明治21年)5月 - 名古屋市の監督下から離れた私立の教育会としての名古屋市教育協会と改組される。
1899年(明治32年) - 名古屋市長をはじめ、市会議員・学務委員・県教育関係者有志により、中京教育会の設立が図られるが、不成立に終わる。また、市教育関係者により、これとは別に金城教育会が成立する。
1900年(明治33年)5月 - 小学校長会において、市助役が官民合同による教育会を提言する。
1900年(明治33年)7月25日 - 南伊勢町143番戸において、名古屋市教育会が創立される。
1902年(明治35年) - 事務所を南鍛冶屋町の名商分教場内に移転。
1903年(明治36年)度 - 名古屋方言調査を実施する。
1905年(明治38年) - 事務所を南外堀町の名商分教場に移転。
1907年(明治40年) - 事務所を中区南久屋町の個人宅に移転。
1912年(大正元年)10月 - 『名古屋市及附近図』発刊。
1913年(大正2年)2月 - 鶴舞公園内市有建物の無償貸与を受け、私立名古屋図書館を開設する。図書館には教育品常設陳列館を併設した。
1913年(大正2年)5月 - 事務所を中区池田町36番地に移転。
1915年(大正4年)度 - 名古屋地方の遺跡・遺物・肖像画などを収録する…