アサンジが解放された。 アメリカとの司法取引により、一部容疑を認めることで、イギリスでの勾留期間をもって刑期を終えたことにされたようだ。 メディアのいくつかの記事を読んだが、美談としてまとめられているなという印象だ。 豪州の働きかけの努力が実ったみたいな話でまとめられているが、政治に美談はあるのだろうか。 物語調で描かれている記事もあり、何か演出くさいものを感じる。
アサンジ解放の動機 一般に、個人の行動には内発的動機はあっても、組織としては外発的動機しかない。 つまり、アサンジの解放は、政治が絡む以上、何らかの目的のために取られた行動であって、決して美談では終わらない。
目的は何か。 まず思いついたのは人気取りである。 政治は国民の支持が必要だから、国民が求めることをある程度は行い、憂さを晴らす必要がある。 アサンジの解放には、世界規模の運動があったので、それは達成できる。
ただ考慮しておくべき点がある。 アサンジは国の暗部、諜報や軍事の機密を暴露していたということだ。 アサンジの解放は、暴露されたくない部分を暴露されるというリスクが必然的に付きまとう。
単なる人気取りで、今回のアサンジ解放のリスクをペイできるだろうか? そうは思えない。 なぜ、大きなリスクを取るような行動をしたのか。
政治的舞台装置としてのwikileaks 考えられるのは、暴露される側ではなく、暴露する側に回ろうという思惑があるからなのではないか。 暴露される側でいる限り、人気を取ろうがリスクが大きい。 機密情報を暴露しないような人を解放すればいいだろうし、そもそも別の方法で人気を取ればいい。 wikileaksという舞台装置を積極的に利用する目的でしか、アサンジ解放の理由は説明できない気がする。
今回の関係国は、米英豪であり、米国はちょうど選挙の年だ。 豪州からの要請で米国が司法取引を受け入れることになったようだが、タイミングが良すぎる。 選挙に向けて、さらには別の政治的戦略のために、wikileaksが動くのかもしれない。