こんばんは。
ムスリムの宗教指導者の方と長い話をしていました。
「人は死んだらどうなるのか」、「病で義務を果たせない者にアッラーを信じる資格はないのか」、「恒心教という仏教はイスラームの影響も受けている」といった話をしました。
個人的にムスリムの方の信仰と私の宗教観は似通っている点もあれば、違う点もあると気づきがありました。
お互いの相違点の1つとしてださいたま師、すなわちD師の生い立ちや境遇の話をしてそれを感じました。
宗教指導者の方は「その彼(D師)の恵まれない幼少期はアッラーが彼に与えた試練である」と回答をいただき、この部分は受け入れ難いなと私は思いました。
「D師はそこまでの仕打ちを受ける必要があったのだろうか?」というのがそう思った理由です。
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PYU(ぬくもりすきー管理人) (pyu224@misskey.nukumori-sky.net)'s status on Monday, 08-Apr-2024 20:38:01 JST PYU(ぬくもりすきー管理人) -
karintou@misskey.nukumori-sky.net's status on Tuesday, 09-Apr-2024 02:00:13 JST karintou @PYU224 幼少期はアッラーが彼に与えた試練である「そう自己暗示でもしないとやってられない」という事なのかも・・・
あらゆるリソースが不足して奪い合いだった近世以前は、今とは比べ物にならない理不尽と不幸があっただろうし、道徳やモラルなんてのも尊重されない事が多かっただろう。
そんな世界では己が力で乗り越えられなければ喰われるのみな訳で・・・
そんな世界で救いを求めて縋ったのが宗教。即ち宗教とは個人の精神安定を図ると同時に、社会共同体を維持する為のツール、システム。社会秩序を維持し、外敵に打ち勝てる強靭な組織の構築と運用を助ける。
故に足りないものはどうしようも無い中で「神が与えた試練だから死ぬ気で乗り越えろ」という根性論を実行するためのドーピング剤が必要とされ、それが「教え」にとして継承されているのかも。PYU(ぬくもりすきー管理人) likes this.
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