権威に訴える論証(けんいにうったえるろんしょう、英: argument from authority, appeal to authority)とは、命題が真であることを立証するために、権威によって裏付ける帰納的推論の一つである。統計を利用した統計的三段論法の形をとることが多い。権威がその主題に関しては専門ではなかったり、専門家の間でもその主題に関して意見が一致していない場合があり、権威に訴える論証は往々にして誤謬となる。権威に訴える論証の逆は、発言者の権威の欠如などを理由にその主張を偽であるとする人身攻撃である。
不明瞭な言葉でも、権威のある人の意見を正しいと思いやすく、影響されやすいという心理傾向のことを、権威への隷属(けんいへのれいぞく)という。ただし、単に権威が行った表明が真であると主張するだけなら誤謬とは言えない。それは真かもしれないが、単に証明できないか、権威に帰することで真であると仮定しているだけだった場合、その仮定自体は批評の対象となり、結果として実際には間違いが判明することがある。権威の表明と相反する批評が行われるとき、その表明を権威が行ったという事実は、批評を無視する論証とはなり得ない。
形式
権威に訴える論証には、2種類の基本的形式がある。権威の専門知識がより適切であるほど、その論証には注目せざるを得ない。しかし、権威は絶対ではないので、その権威が無謬であると断言するような「権威に訴える論証」は誤謬である。
第一の形式は、発言者当人はその分野の権威ではないが、自分の主張がその分野の権威の主張と同じであると指摘する形式である。例えば、「アーサー・C・クラークは一日に3回デンタルフロスをする必要があるというレポートを公表した」という文があっても、アーサー・C・クラークは歯科の専門家ではないので、多くの人にデンタルフロスの必要性を納得させることはできないだろう。推薦文を利用した広告は、このような論理的誤謬を伴っていることが多い。例えば、スポーツ選手や俳優が腕時計や香水について一般人より専門知識を有することはあまりないと思われるが、彼らが特定のブランドの腕時計や香水を推薦することは、広告として非常に価値がある。
第二の形式は、適切な分野の権威を引用するもので、より主体的かつ認識的重みを持つ。ある分野の権威とされる人は平均的な人よりもその分野での経験や知識が豊富と考えられ…