本間忠世(ほんまただよ 1940年7月9日生) [日本債券信用銀行社長] 兵庫県出身。1963年、東京大学法学部卒業後、日本銀行に入行。前橋支店長を経て、初代信用機構局長、理事・大阪支店長嘱託として大手金融機関の破綻処理にあたる。退行後、1998年に東京中小企業投資育成副社長に就任。日本債券信用銀行が経営破綻し一時国有化され、2000年にソフトバンク、オリックス、東京海上火災保険などから成る投資グループに売却されると、同年9月3日に本間は同行の次期社長に内定した。 しかし、社長就任直後、出張先の大阪市内のホテルで不可解な自殺を遂げた。2000年9月20日午前8時30分頃、阪急インターナショナルホテルの一室で首を吊っているのを発見され直ちに病院に搬送されたが同9時11分、病院で死亡が確認された。警察は、本間が首を吊った部屋から5通の遺書が見つかったことから自殺と断定。このため、警察は司法解剖することなく本間の遺体は荼毘にふされた。だが、その後次々と他殺説を裏付ける状況が明らかにされると、「本間社長は殺害されたのではないか」という噂が流れた。まず、首吊り自殺したとされる19日未明に、偶然隣室に宿泊していた歌手でタレントの森公美子が、「隣の部屋が騒がしい」とホテル側にクレームをつけていた事が判明。更に、本間が首吊りしたとされるカーテンレールになんら変形が無かった事や紐の入手先が判明しなかった事など不自然な点が多々あった。金融再生委員会は、日本債券信用銀行がバブル期に貸し付けた債権のうち、約1000億円が反社会的勢力に貸し付けていたと公表した。このため、闇社会とのトラブルに巻き込まれ殺害されたのではないかとの噂が広まった。 2000年9月20日死去(享年60)